さよならいいこ

私は私だもの

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人柄で勝負するのも難しい

 

本当にその通りだなぁと思いました。

そして、人柄も能力のうちだよなぁとも思いました。

 

私は最近仕事がとても楽しいです。

優しい先輩方のおかげです。

 

去年はプライベートで泣きたいようなことが続いて、それを引きずってしまったせいで一頃あまりきちんと業務を果たせていなかったように思います。

 

そんなときも先輩方は文句も言わずフォローしてくれて、責めずに静かに問題点だけ指摘して、どう治していくのかを一緒に考えてくれたんですね。

 

本当に申し訳なくて、自分の辛いことで頭がいっぱいの中でも、これ以上にいい職場はないんだからここでやっていこう、もっと歯を食いしばってがんばろうと思いました。

 

がんばらなくちゃ、じゃなくて、がんばろうと思ったんです。

これ以上にいい職場はないと誰かに言われたわけじゃなくて、私が思ったんです。

 

このことが、とても大切だなと思いました。

その後、実際に私に後輩ができてみて、人の問題点を責めたり「やる気を出せ」「仕事とはこうあるべき」、と押し付けることは簡単だけれども、人のやる気が出るのを待ったり引き出したりすることはとても難しいと感じました。

 

親切にすることは意外と難しいのです。

「○○してやったのに」という気持ちが少しでも芽を出したら、その瞬間にそれは親切ではなくなるからです。

 

根っからの親切な人というのは、それだけでそれが才能であり、能力なのです。

私にそれがないのなら、ないなりに最大限やっていく方法を考えなくてはならないと思いました。それは、

 

  • 否定しないこと
  • 「我関せず」を徹底すること

 

です。

 

「もっと仕事できるようにならなくちゃ、親切にしなくちゃ。」

 

そういう勤勉な思考は「あれもこれもまだできていない」という自己嫌悪に繋がり、そのうち努力せずのほほんとして見える他人を「どうして」と責めるようになり、結果的に周りに「情緒不安定」と映るようになります。

 

会社員としてみんなで仕事をしていく上で、情緒不安定というのは一番迷惑だと思うんですよね。

仕事ができないより不親切より何より、情緒不安定が一番困る。

上手くやろうと思ったがゆえに結果的に一番迷惑になってしまっては本末転倒です。

 

人の数だけ働く理由はあって、自分から見て怠慢に見えるからと言ってその人が本当に怠慢とも限らないし、もし仮にそうだったとしても、会社判断でその人は居た方がよいとなっているから所属して私と働いているのです。

一社員である私がどうこう騒ぐ話ではありません。

 

私も週5日も働いていれば調子や機嫌が悪い日もあります。

でもそこで「否定しない」「我関せず」を徹底するだけで、テンションは低くても毎日確実に情緒を安定させることができるのです。

 

仕事の出来も親切も、プラスアルファで余裕があってやりたいときにやればいいのです。

なぜならただの会社員なのだから。

 

そんなことより無理をしてマイナス、情緒不安定を叩き出さないこと。 私はこれが大切だと思っています。

 

本音を言えば否定したくなることもあります。

でもそこにメリットはないのです。

否定したくなることがあまりにも多いなら、辞めるなり転職するなりすればいいだけの話なのです。なぜならただの会社員なのだから。最後に重ねて言います。

 

  • 否定しない
  • 我関せず

 

そのためには、自分がそこに居る目的をハッキリさせておくこと。

私も至らないことだらけですが、せめて仕事中ぐらいはこれを徹底して心がけていこうと思います。人生規模でも目的ハッキリしたらそれが一番いいんですけどね。

 

 

 

 

「失った分だけ新しいことが」と言うけれど

新しいことが手に入らなかったら、失って落ち込んだことに意味はないのでしょうか。

失うべくして失ったのなら、断捨離としてスッキリしてさっさと次に行くことが健全なのでしょうか。

 

私は立ち止まったり振り返ったりする時間や痛みを捨てたくないと思っています。

美化のし過ぎは良くないけれど、検証不足や自分とはちがう視点を切り捨てたまま次に向かうということは、どうにも似たことを繰り返すだけになってしまうような、あるいはそれだけならまだいいけれど、中途半端に自分にトラウマを作ってブレーキをかけることにもなりかねないと思うのです。

 

強がらずに生きるって難しい。

弱さを認めるって怖い。

それでもそれ以上に、強がる人の背中を好きになれない自分がいるから、

そして私があのとき傷つけたあの人はきっともっと痛かったのかもしれないと思うから、

私は失った事実を切り捨ててまで次になんて行きたくないと思ってしまうのです。

失う前に気づけばよかったのにね。それも含めて、私だとしたら。

   

Time after time~花舞う街で~

Time after time~花舞う街で~

 

 

出会って失って、それだけでも経験できてよかったと心から言い切れるだけの器があったなら、きっと失ったりなんかしなかったのでしょう。

こんなに落ち込むほど愛せてよかったと言いたいところだけれども、愛しきれていなかったから失ったのだろうなと、ただただ振り返らずにはいられないのです。

後悔を通して、変われる私と変われない私を認識するのです。 

 

だってべつに、スッキリ気持ちを切り替えるために生きているわけじゃない。私はただ私のまま、

 

「こんなとき、あの人ならこう言っただろうな。」

 

という面影を増やしていくことが、生きるということなのだと近頃思います。

 

でもそうね、新しい出会いが全てではないけれど、面影じゃなくてずっと一緒に居られる誰かに、いつか出会って大切にできるだけの私になりたいです。

 

 

人間関係とか恋愛とか結婚とか

去年は散々な一年でした。

大切だった、親しい人と何人も立て続けにすれ違って、そのたびに私が今まで頑なに守ってきた自分らしさみたいなものを乱雑に引っ剥されたみたいな一年でした。

あるいは私も、すれ違いざまに相手のそれを散々引っ剥がしてしまったのかもしれません。

 

身勝手、自己中、わがまま、思いやりがない

 

そう言われました。その通りです。

それでもなおそんな自分を変えられない、どうしようもなく身勝手な人間です。

 

結婚の話だって色恋だって、今まで全くなかったわけじゃないのです。

理屈で自然にしているのが一番と思ったところで、現実は毎日どこか物足りなくて、失った心が寂しくて、いつ誰と結婚した方が、これからどうした方が、自分は、自分は、自分は、自分は。

 

誰かを好きとか大切とか言いながら、結局私はこの期に及んで自分のことしか考えていないのです。そういう自分が嫌になって、また自分自分自分。

 

うまくいかなかった人間関係をどうすればよかったんだろうと悔やんでは、自分のことばかり庇ったり責めたり、本当に自分ばかりで、だからうまくいかなかったと、そういう自分を変えれば上手く行くことは多かったろうし、これからもそうなのかもしれないと思いつつ、変えるなんてそれはちょっと無理があって。

 

そのくせ自分は、他人の変えられない部分を変えようとしていたんじゃないかと、それが親しい人への甘えとか愛とか言うなら、そんな愛なんてない方がよかったんじゃないかとか、あるいは私は変わる必要なんかなかったところで、誰もそんな私を受け止める必要なんてないのだと当然のことに今更気づいたり、とりあえず今これから、どう生きれば私は幸せになるのだろうと、考えがまとまらなくて。

 

ソラニン

ソラニン

 

  

そんな私にある日、恩師が言いました。

たまたま、久しぶりに連絡を取ったのです。

 

かつての会社の上司。

正社員がいかに恵まれているかとか、働きたくないなら若いうちに結婚をとか、そういう、世代とか考えが古いけど、親切で愛情深い人。

 

私が会社を辞めるとき、誰よりも心配して、寂しがって、けれど最後は誰より信じて見送ってくれた人。

あの人がいなかったら、私は2年もあの会社にいられなかった。

 

毎年、年が明けるたびに私は挨拶がてら彼に近況を話すのです。

それすら面倒と思う年も正直たまにある私は本当に身勝手で、でも、最終的にいつも、挨拶したいと思うのです。

 

去年あんまりいろいろありすぎたから、今年はちょっと、ふと、弱音をこぼしたのです。

 

「愛して愛されて適齢期に結婚、なんて難しいです。なら片方どちらを取れば自分は納得できるのか、そもそも愛って何、みたいな。焦ると良くないんでしょうけどね。」

 

なんとなく、一緒に働いていた頃、上司は休みに引きこもってアニメばかり観ていた私に「さっさと結婚しろよ」と冗談めかしながらいつも心配していたから。

そして近年は私自身も結婚を意識しだして、それが叶わなかったことが自分でも心配になってきてしまったから。

うしろめたさとか心細さがあったのだと思います。

 

そんな私に、彼は言ったのです。

 

「そのことは、自分らしく、でいいと思うよ。」

 

シンプルな一言を、かつてと変わらない様子のあなたが、かつてと少し変わったようなことを言って。でも、やっぱり変わらない。

 話していたら、昔に戻ったみたいで。

 

このまま居たら独りになってしまうの?

街を出ていったのは、連絡を取らなかったのは、独りになったのは、目先の去ったことばかり見ていたのは、私で。

気づいたところで毎日はすぐには変わらないし、私は頼りない私と生きていかなければならないのだけれども。何を選べば良いのかなんて今でもわからないけれど。

 

 

 

拝啓 

私はニートになってもシェアハウスに住んでも再就職してもシェアハウスを出ても、相変わらず忘れっぽくてそそっかしくて大雑把で頑固で顔に出やすいです。

 

また来年連絡が取れるように、とりあえず今年も東京でがんばります。

忘れないように、ここにも書いておくんだ。

ありがとう。

 

 

ぶらり鎌倉ひとり旅

n00さんおすすめの鎌倉に行ってきました!

人と話してばかりでどれひとつおすすめのお店には行けなかったのですが(笑)

 

www.n00life.com

 

ひとり旅もその記事を書くのも久しぶりだなぁ。思えば就職して初めてかもしれない。

「○○へ行きました」系の記事書くのって、記憶を掘り返す単純作業っぽくて苦手だったんだけど(そしてそのかんじが文章に出る。淡々とあったことを書くだけの記事になる(笑))、なんだか珍しく今日は書きたい気分になりまして。

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根がクズニートのまま会社員やってる

やりたいこと仕事にして会社の人間関係も悪くないし残業も少ないホワイトでプライベートも充実しています。

 

これ以上に素敵なことってないだろうなというぐらい精神的に贅沢な日常を過ごしているけれど、それはそれとして、最近どことなく自分が浮き世離れしているような気分になることが多いのですね。

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