さよならいいこ

私は私だもの

スポンサーリンク

さよならいい子ちゃん

いい子を演じているとき、実は自分が勝手に演じて勝手に疲れているだけだったりする。

否、厳密に言えば推定6割ぐらいは本当に「この人良い人だな~」と騙されてくれていて、残りの4割は実は騙されたフリをしているだけだったりする。

 

ではその4割が何を考えているかというと、おそらく

 

  • うわ~いい子の押し付けだ~ほめてあげなきゃいけないパターンだ~めんどくさ!!
  • 自分に従順ならどうでもいい

 

極端な言い方だけどだぶんこのどっちかの発想だと思う。

 

 

ちなみに私は前者です。

 

演技性いい子ちゃんといるとなんか気持ち悪い。

みんなでいい子って持ち上げるから、まじめに指摘したりこちらが我を出すとグループ内で自分が悪者になってしまう。

だからその子に対する反応はいつもワンパターン化してくる。

 

「ほんといい子だよねー。」

「気が利くよねー。」

「なんか私ばっかりわがままきいてもらってごめんねー。」

 

こちらが被害を受けないようにとりあえず適当に言ってるだけです。

 

真に受けて「本当の私は愛されない」とか勝手に謎の孤高な解釈をしないで下さいw

 

 

相手が言ってほしい言葉を投げかければ好いてもらえるなんて、実は大間違いである。

好かれているのは自分ではなく虚像である。

それにほんとは気づいているから、本当の自分は云々と悩むことになる。

 

「いい子」を演じることで人に圧力をかけないでくれ

いい子という名のパワハラだと思うんだよね。

 

「こんなにいい子に悪態つけないでしょ? 嫌いって言えないでしょ? ねえ、私をちやほやしてよ。」

 

そんな圧力を感じる。やばい。

いい子の皮を被った自分のことしか考えてない地雷感がやばい。

 

親にパワハラ受けるといい子にならざるを得ないんだけどさ

親がしつけのつもりで自分の意見を子どもに無理やり受け入れさせる、子どもの意見を否定しまくる。

それがいびつであることに親子共々気づかない。

そうやって演技性いい子ちゃんが完成する。

 

自分だって多少そんな側面があったし、人の話をきいていても、そういうことが多いように感じる。

 

本当はかわいそうとかある程度しかたないとか、そりゃあいろいろあるだろうけれども。

健全に育った人からすればいい迷惑であり、うわべの称賛と共に距離を置くのは適切な大人の対応である。

利用する人、支配する人はわんさかいるのに、一緒に過去を見つめていい子と自分の狭間を辿ってくれる人間は、まずいない。

 

だからさよならいい子ちゃん。

自分を救えるのは自分だけなのにね。

 

第1話 鉄橋を叩いて渡る
 

 

 

広告を非表示にする