さよならいいこ

私は私だもの

スポンサーリンク

本当の気持ちなんて、言えないぐらいでちょうどいい

 f:id:sakenominimal:20170506133257j:plain

 はじめに

なんだかみんな、とっても、きっと、

 

「迷惑かけるから。」

 

って理由で自分の気持ちを抑え込むとき、本当に思っていることは「拒絶されたら辛い」ってことなんだろうなと思うんです。正直に素直に「辛い」と伝えるまっすぐさを忘れてしまって、なんだかとても臆病になってしまって、「迷惑かける」だなんて一見相手のことを慮った大人なフリをして、殻に閉じこもっているだけで。

 

そんなことをしたところで、ひょんなことから心を開ける相手を見つけた瞬間、ドスンとのしかかっては失うだけなのに。

 

sakenominimal.hatenablog.com

 

 「自分の気持ちがわからない」ってときもきっと、本当は「気づいているけど認めては怖い」と感じる何かがあるときに「わからない」と表現してごまかしているだけなんだろうなと思うんです。

 

そうやってずっとそこに留まることの方が、長い目で見ればきっと怖いことなのに。

 

伝えたい気持ちなんて軽薄で

「心を開ける」と思った相手のことを「大切な人」と表現するとしたら、ついついなんだって伝えたくなってしまうものだけれども。想いや気持ちってあまりにもたくさんの種類があるから。なんでもかんでもぶつけてしまうことはきっと「心を開く」や「誠実」とはかけ離れているんだろうなと思いつつ。

 

そうやってなんでも伝えたい衝動にかられることを「想いがあふれる」なんてきれいな言葉でラッピングしてみると、相手の逃げ道はどんどんなくなっていくというか。

逃げ道をふさいで、滝のような想いを容赦なくぶつけて、「大切な人」と言い張り続けて。でもそれって実際大切にできているのかなって。

 

伝えることより、伝わってほしいと思う気持ち

「伝える」と「伝わる」って、似ているようで実はニュアンスが全然違うんじゃないかって思ってて。「伝える」なんて考えるから、なんでもぶつけたくなってしまう、それはきっとあんまりよくない。

 

だから「伝わってほしい」って願ってみる。「察しろ」ということではなくて。

混沌としたあふれそうないろんな自分の気持ちの中から、相手が喜んでくれそうなものを選ぶの。より確実に選べるように、相手のことを知っていく気持ち、「これで合ってるかな?」って振り返る慎重さ、忘れないようにしていきたいなって。

 

本当の気持ち、本当の私

そんなものは自分しか知りえない。自分すら知らないとしたら、なおさら他人にいくらぶつけたって、わかるはずもない。

 

sakenominimal.hatenablog.com

 

相手に対してどこまで心を開くか判断することばかりいっちょまえに慎重になって。

そのくせ「大切」と浮ついた言葉を述べるのも、容赦なくドロドロとした感情をぶつけるのも一瞬で。

 

いつまで居てくれるかなってふと心細くなりながら、「居てくれてありがとう」って、今度こそ私の中のあたたかい気持ちだけ選んで届けられるように。そうやって考えながら、本当のいろんな気持ちはいつも私の中だけでぐるぐる眠り続けて。優しく在るって難しいね。

 

おわりに

なんだか世の中、殻に閉じこもって愛されたい人ばかり溢れすぎてはいないかなぁ。自分ばかりが抱え込んでいると思いたい気持ちと、そんなことないと本当はわかっている賢さと。そうやっていろんなドス黒さに蓋をして、簡単にきれいで優しくなろうとすると、いつまで経っても誰も愛せない気がするんだ私は。

 

そういう意味で、優しくなれるための過程として、何をぶつけても許される*1ブログって私は結構好きで、お世話になっています。

 

 

*1:まあぶつけた分だけぶたれるけど、誰もヘビーに気にしていないかんじがぶつけやすくてよい(笑)

広告を非表示にする