さよならいいこ

アロマ・ハーブ・思ったことなど

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「失った分だけ新しいことが」と言うけれど

新しいことが手に入らなかったら、失って落ち込んだことに意味はないのでしょうか。

失うべくして失ったのなら、断捨離としてスッキリしてさっさと次に行くことが健全なのでしょうか。

 

私は立ち止まったり振り返ったりする時間や痛みを捨てたくないと思っています。

美化のし過ぎは良くないけれど、検証不足や自分とはちがう視点を切り捨てたまま次に向かうということは、どうにも似たことを繰り返すだけになってしまうような、あるいはそれだけならまだいいけれど、中途半端に自分にトラウマを作ってブレーキをかけることにもなりかねないと思うのです。

 

強がらずに生きるって難しい。

弱さを認めるって怖い。

それでもそれ以上に、強がる人の背中を好きになれない自分がいるから、

そして私があのとき傷つけたあの人はきっともっと痛かったのかもしれないと思うから、

私は失った事実を切り捨ててまで次になんて行きたくないと思ってしまうのです。

失う前に気づけばよかったのにね。それも含めて、私だとしたら。

   

Time after time~花舞う街で~

Time after time~花舞う街で~

 

 

出会って失って、それだけでも経験できてよかったと心から言い切れるだけの器があったなら、きっと失ったりなんかしなかったのでしょう。

こんなに落ち込むほど愛せてよかったと言いたいところだけれども、愛しきれていなかったから失ったのだろうなと、ただただ振り返らずにはいられないのです。

後悔を通して、変われる私と変われない私を認識するのです。 

 

だってべつに、スッキリ気持ちを切り替えるために生きているわけじゃない。私はただ私のまま、

 

「こんなとき、あの人ならこう言っただろうな。」

 

という面影を増やしていくことが、生きるということなのだと近頃思います。

 

でもそうね、新しい出会いが全てではないけれど、面影じゃなくてずっと一緒に居られる誰かに、いつか出会って大切にできるだけの私になりたいです。