さよならいいこ

私は私だもの

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大人になったなと思った瞬間

子どもの頃の私

思えば、中学生ぐらいから「大人っぽいね」と言われることの多い子どもでした。その言葉は少しずつ私の中に響いて、ムダに真に受けては考え込んでしまったものです。 

 

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 でも今思えば、そういうところが意外と子どもらしかったのかなー、とか。

 

けれどその一方で、10歳以上歳の離れた社会人の先輩方に憧れて、かわいがってもらえるのが嬉しくてしかたがなくて、そのくせ年下扱いされるとちょっと自分が至らないようで不服で。何か自分の中で「彼らに釣り合うような大人としての了見のようなものがほしい」なんてことを思った時期もあって。

 

sakenominimal.hatenablog.com

 

そうやってわりと長年、ふとしたときにずっとずっと考えてきたのね。

 

「大人ってなんだろう」って。

 

でも最近なんだか、ついにその答えが出た気がするの。

 

大人ってなんだろう

しっかりしてること? 物分かりが良いこと? 経済的に自立してること?

私にとってはどうも、全部全部ちがう気がしたのです。

 

しっかりして見えたって、その分だけ心が幼いこともある。

物分かりが良いんじゃなくて、人に恵まれずに生きてきてしまっただけだったりもする。

経済的に自立したって、なんでもお金にモノを言わせようとする子どもっぽい人をたくさん見てきた。

 

大人、大人、年相応の、素敵な大人。

 

そういう答えを探した私はたぶん子どもで、自分のすぐ隣に、十年後、あるいは数年後に、ただ無駄に歳を取っただけのなりたくない大人がいるような気がして。

それが怖くて、答えを探していたのです。

 

大人になったなと思った瞬間

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いくつになっても心は大人になんかならないと知ったとき、です。

 

思えばかつて先輩が、飲んだときにふと答えを言っていました。それを今になって思い出して、点と点が結びついて、今更合点がいくのです。

でもそのときはそんな夢のない答え、意味がわからなくて嫌でした。だって、そうは言うくせに、なんで「歳を取るのも悪くない」なんて矛盾したことを言うの? と思っていたのです。素敵な人だったから、「ただの謙遜かも」なんて思っていたりもしました。

 

けれど今思えば、大人と思っていた先輩たちにも、ただ「大人」とか「子ども」とかを超えて「人」として、いろいろな葛藤があったであろうと思うのです。

嬉しいこと、誇れること、戸惑うこと、後輩を対等に扱ってくれる気持ちと、良き先輩であろうとしてくれる気持ちと。

 

今になって、今になって、今になって、何かいろんなことがわかってきた気がするのです。遠く離れて、疎遠になってから。

 

先輩はみんな、当時私が思っていたほど大人なんかじゃなくて、でもただみんな、人間味あふれて素敵な人だって、今でも思います。

 

これからの私

先輩たちに比べて知識も体力もユーモアもなかった私。若さしかない気がした私。そしていまだに、たいしたものはないまま歳を取っている私。

 

だからせめて、つまらない見栄だけは張らないように。会う人会う人に精一杯の愛情を持って、その人のことを少しでも捉えてあげられるように。そのために、自分で自分のバランスを取れるように。

 

誰だって認められたい。歳を取るのだって怖い。それはきっと私だけじゃない。

知識もユーモアもないけれど、そういう気持ちを拾っていく力が、今の私にはあると思うのです。

そしてそれが、劣等感や「歳だけ取って何もないんじゃないか」という恐怖から、きっと私を救ってくれる解決策。そんな気がするのです。

 

 

  

「歳を取るのも悪くない」って、いつか私も言えるでしょうか?

 

 

 

ふとまた聞いてみたくなって、会いたいなと思う夜。